この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第152回
斎藤智
麻美は、隆につきあって車屋さんに来ていた。
隆が、自分の持っているエスティマを買い替えたい、というので麻美もつきあっていたのだった。
買い替えのきっかけは、先週のヨットに乗った、横浜マリーナからの帰り道だった。
今までは、ラッコの乗員は6人だった。
それに香織が加わって7人になった。
帰りの車が全メンバーでは乗るのに狭くなってしまったのだ。
さらに先週は、マリオネットの生徒さん、美幸も一緒だったので、けっこう満員になっていた。
隆に麻美、雪、洋子、ルリ子、佳代だったときは、麻美が運転席で運転して、隆が助手席、後ろの中段に雪、洋子が座って、一番後ろのシートにルリ子と佳代の2人が座っていた。
香織がもう一人増えたので、さすがにもう乗る場所が無いのだ。
先週は、最後部にルリ子と香織、中段には、雪、洋子、美幸の3人が詰め合って座り、身体の小さい佳代は、運転席の麻美と助手席の隆の間にちょこんと座っていた。
「最近7人乗りの車ってあるじゃん。車を買い替えようよ」
ヨットがすべての生活の中心にある隆の提案だった。
「良いと思う。買い替えようよ」
隆は、もったいないと反対されると思っていたのに、意外にも、麻美も車の買い換えに賛成してくれていた。
「この車、やっぱり古いよ。いろいろ装備とか、オートクルーズとかも付いていないし」
麻美は、隆に言った。
麻美が隆と一緒に、新型のエスティマを車屋に見に行ったときも、隆が新型のエスティマではスタイルが良くないとか言って、この旧型のエスティマを中古で購入したのだ。
そのときも、外観のスタイルが気に入っていた隆に対し、麻美は装備が少し古くさくないかな、運転とか今の車よりもやりづらそうと思っていたのだった。
「まあ、隆の車なんだから、隆が買い替えたいのだったら、好きに買い替えれば良いじゃないの」
麻美は言った。
「でも、運転するのは麻美なんだから」
横浜マリーナの行き帰りは、もちろん会社に出社するときも、どこに行くときも、実際に隆の車を運転していたのは、ほとんど麻美だった。
そんなわけで、麻美も一緒に車屋さんにやって来たのだった。
「どの車にする?」
「7人乗りのシエスタ…」
隆は答えた。
テレビで見たCMの受け売りだ。
実際にシエスタがどんな車なのか、車にまったく興味のない隆は知らなかった。
ただ、テレビでタレントが7人乗りの車、シエスタと言っていたのを聞いて、ラッコの乗員7人が頭に浮かんで、シエスタが良いと勝手に思っているだけなのだった。
「これなら、サイズも運転しやすそうで良いじゃん」
実際にショールームでシエスタを見た隆は、そのコンパクトな姿からの感想を、麻美に述べた。
それだけ言うと後は、車選びは、麻美に任せっきりで、自分はスポーツカーの置いてあるところに行って、展示してあるオープンカーの運転席に乗ってみたりしていた。
「どお?」
隆は、オープンカーの運転席で、麻美が日避けでしていたサングラスをかけて手を振っている。
「隆さ、車の運転下手なんだから、こんなオープンカーを運転したら、運転へたくそでも屋根ないから隠れるところ無くなるよ」
隆は、麻美に言われてしまっていた。
「あっちも乗ってみようか」
隆は、奥に置いてあるポルシェのところに行った。
「かっこいいな!」
「ソファのクッションもいいわね」
隆がポルシェの運転席に座ったので、麻美は助手席に座ってみた。
「やっぱり、麻美がこっちでしょう」
そう言うと、隆は運転席から降りて、車をぐるっと回ると、麻美の座っている助手席のほうにやって来た。
「早く、場所交代しよう」
麻美は、隆に言われて、仕方なくポルシェの運転席のほうに座る。代わりに、隆が今まで麻美の座っていた助手席に座る。
「やっぱ、こっちの方が落ち着く、しっくりくるね」
隆は、助手席の方に座ってご機嫌だった。
「どうですか?お客様。これはかなりお得ですよ」
2人がポルシェに乗っていると、セールスマンがやって来て言った。
「そちらのギアを引きながら発進するんです。ポルシェの運転は普通の車とは多少違って特殊なんですよ」
セールスマンは、ポルシェ特有の運転の仕方を麻美に説明してくれる。
「なんだか複雑ですね」
「そうかな。そこのところが少し変わるだけでしょう」
セールスマンから聞いても、よく運転の仕方がわからない隆と反対に、麻美のほうは、理解できているようだった。
「隆には、ポルシェは運転できないね」
隆は、麻美に言われた。
「まあ、いいよ。麻美さえ運転できるのならば」
隆は答えた。
「はは、奥様のほうが運転は上手そうなんですね」
セールスマンは、車の運転の飲み込みが早そうな麻美のことを褒めていた。
「隆が運転できないじゃ仕方ないから、シエスタのほうを見に行こう」
麻美は、隆を連れてポルシェ売り場を離れた。
「やっぱり、こういうのが車らしくていいか…」
運転の難しそうなポルシェをあきらめて、シエスタに乗りながら隆は負け惜しみを言った。
「さっきのセールスマンに私、奥様って言われちゃったよ」
麻美は、隆に言った。
「まあ、麻美も年齢的には、おばさんの年齢だからね」
隆は、麻美に言われたことを軽く受け流していた。
「そういえば、船でも、この間、雪ちゃんに隆と進展ないの?みたいなこと聞かれたんだよ」
「あいつらは、恋バナとか好きだからな」
「そうなの?」
「火のあるところどころか、火のないところにまで恋バナすぐに立てたがるから」
「火のないところなんだ…」
麻美は、小声でつぶやいていた。
「で、どれにする?シエスタでいいの?麻美の一番運転しやすい車が良いと思うけど」
隆は、車の選択に迷っていた。
「私、あれが良いんだけど」
麻美が指さしたのはキャンプ、ツーリング仕様のステップワゴンだった。ステップワゴンも7人乗りになっていた。
結局、麻美がいいと言っていたステップワゴンになった。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。