この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第154回
斎藤智
香織は、会社の仕事を終えた。
今日は金曜日なので、明日からお休みだ。
いつもの週末と違って、明日からのお休みは長い。
5月の連休のスタートだった。
「お疲れさま!」
香織は、会社を出て、表に出た。
会社の表には、見慣れない大きな車が停まっていた。運転席には見慣れた麻美の姿があった。
「麻美さん、ごめんなさい。ずっと待っていてくれたのですか?」
香織は、その車に乗りながら、運転席の麻美に声をかけた。
本当は、麻美とは駅前での待ち合わせのはずだった。
「ううん、大丈夫よ。少し早く着き過ぎたから、香織ちゃんの会社の前まで来てしまったの」
麻美は答えた。
「クルージングって金曜の夜に横浜マリーナを出発するんですか?それじゃ、金曜の日は、会社に大きな荷物を持って出かけなければならないね」
「会社に大きな荷物を持っていくのでは大変だから、金曜の朝、香織ちゃんの家に行くから、うちの車のトランクに入れておきなさいよ」
同じ東京都内に住んでいる麻美が、香織に言ってくれたのだった。
その日の朝、香織が会社に出社する前に、本当に麻美は、香織の家の前まで車で迎えに来てくれたのだった。
「お疲れ様。香織ちゃん、おしゃべりできないから、後ろじゃなくて助手席に座りなさいよ」
麻美に言われて、香織は後ろの席から助手席に座り直した。
「麻美さんは、今日は会社お休みだったのですか?」
「うん。会社は休んで、父の貿易会社の輸入品倉庫を片付けるの手伝わされていたの」
麻美は苦笑した。
「麻美さんの会社って、隆さんと同じ会社なんですよね」
「そうよ。隆にうちの会社を手伝えって言われて、勤めるようになったのよ」
「隆さんの会社って横浜でしょう?毎日、横浜まで通っているんですか?」
「うん。っていっても、自動車通勤だけどね。一応、社長秘書だから車で行って、社長がお出かけのときは、その車で運転手しているの」
「社長って隆さん…」
「そう。だから、運転手っていっても、普段横浜マリーナに行くときとあんまり変わらないかな…」
麻美は、香織に笑ってみせた。
「もしもし…洋子ちゃん、まだ家にいる?それじゃ今から迎えに行くから」
麻美は、携帯電話を切ってから、車の運転をした。
「横浜マリーナに行く前に、洋子ちゃんと隆の家に迎えに行くからね」
麻美は、香織に言った。
「いつも、皆のところに迎えに行っているのですか?」
香織は麻美に聞いた。
「いつもじゃないわよ。長期のクルージングのときだけよ。ほら、泊まりでクルージング行くときは皆、荷物が多くて電車だと大変でしょう」
麻美は、洋子の家に車で周りながら、香織に話した。
「うちのヨットって女の子ばかりだから、女の子は男の人と違って皆、泊まりのお出かけだとどうしても荷物が多くなるじゃない。隆なんて、どんなに長いお出かけでも小さなバッグひとつで出かけてしまうみたいだけど…」
洋子の家を周って、次に隆の家に行った。
家の前で待ちくたびれていた隆を拾って、横浜マリーナに向かった。
会社帰り
今日の仕事は、忙しくて大変だった。
連休前ということで、長いお休みの前にあれもこれもと全て終わらせてしまわないといけないということもあった。
さらに、父親の会社の手伝いだとかで、今日はいつも一緒に仕事をしている麻美がお休みだったのも大きかった。
「あれ、どこだったっけ?」
隆は、社長室の中を物を探してあっちこっちうろうろしてしまっていた。
それは、目黒の麻美の家で、隆も一緒に皆で夕食を食べているときだった。
隆と麻美に、お母さん、お父さん、それに麻美の弟が食卓には揃っていた。
「来週は、芝の倉庫の片づけをしなければならないよ。おまえも手伝ってくれよ」
麻美の父親は、夕食を作っていた母、自分の妻に話していた。
「いやですよ。会社のスタッフの皆さんに分担してもらって、やってもらえば良いじゃないですか」
父は、母に断られていた。
「俺が手伝ってやっても良いけど、会社があるし、片付けは苦手だもの」
自分の部屋も散らかっている弟は、父に誘われる前に断っていた。
父も、弟の片づけ下手はよく知っているようで、弟にお願いするつもりは最初から無かったようだ。
「麻美、お前は?」
母に断わられた父は、今度は麻美に聞いてきた。
「麻美はだめですよ。麻美だって、平日は会社があるんですから」
麻美が何か言う前に、母が父に答えていた。
父は、皆に断られて困った表情をしていた。
「私、手伝おうか?」
麻美は、父の困った顔を見ていて、思わず父に言ってしまっていた。
「そうか!麻美、お前が手伝ってくれるか?」
父は嬉しそうだ。
父も、最初に母に頼んだ時から、もともと片づけが家族の中で一番上手な麻美に一番手伝ってもらいたかったようだった。
「あなただって、平日は会社の仕事があるでしょう?」
「大丈夫よ。一日ぐらいお休みしたって…」
麻美は、チラッと隆のほうを見ながら、母に答えていた。
「隆君。来週の一日だけ、麻美のことをちょっと借りてもいいかな?」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
いつも、こうして麻美の家におじゃまして食事をご馳走になってしまっている隆としては、父に頼まれて、いやとは言えなかった。
そして金曜日、麻美は会社をお休みして、父の会社の倉庫を片付けしたのだった。
おかげで、会社で一人仕事した隆は、すごく疲れてしまっていた。
「着いたよ」
「お疲れ様~」
横浜マリーナの駐車場に到着し、麻美は車を駐車場に停めて、3人はマリーナ内に歩いて行った。
そこで、ほかの電車で来たメンバーたちとも合流したのだった。
横浜マリーナのヨットの置いてある海際に出ると、海のにおいがしている。
「あーあ、いいな!」
隆は、ヨットのデッキの上で両手を上げて、大きく伸びをして海のにおいを吸い込んだ。
「気持ちいいね!」
隣りにきて、同じように海の空気を吸い込んだ洋子も言った。
「いいよな!仕事でどんなに疲れていても、海に来てヨットに乗ると、一気に疲れが吹っ飛ぶよな」
隆は言った。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。