この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第146回
斎藤智
次の日曜日、香織は、また横浜マリーナに集合していた。
先週は、マリーナのクラブハウスで講義を受けて、午後からもロープの結び方を教えてもらったりしただけなので、いよいよ今日から初のヨットに乗れるのだ。
先週も、少しだけ船を陸上に上げるときに、乗せてもらったが、セイルを上げてちゃんと走ったわけではない。
今日は、セイルを上げて、ヨットとして走っているところに乗れるらしかった。
「今度の日曜、予定はある?ヨットに乗りに来れる?」
木曜の夜、香織が会社から家に帰ると、麻美から電話があって、ヨットに誘ってくれた。
「はい、大丈夫です」
香織は、麻美に答えた。
麻美とは、先週の日曜日に、香織が横浜マリーナのヨット教室に参加して初めて出会ったばかりだというのに、いつも初めてヨットに乗る香織のことを気遣ってくれて、とても優しいお姉さんなので、香織も、麻美のことを大好きになっていた。
「一緒に着替えてこようか」
ヨットの出航準備が整うと、麻美は香織のことを誘って、クラブハウスの女子更衣室に着替えに行った。
香織にとっては、きょうが初めてのヨットなので、何を着てきたらいいのかよくわからず、裾の広がるパンツを着てきてしまったのだ。
「裾が広がると、船のどこかに引っかかたりしないかな」
隆が、裾が広がっている香織のパンツを心配したら、たまたま船内の戸棚に入りっぱなしになっていた麻美のサイズが小さくなったパンツが香織にぴったしのサイズだったのだ。
「香織ちゃん、かわいい」
ルリ子と洋子が、香織の履いている麻美のパンツを見て叫んだ。
「あら、本当!かわいいじゃない!私、叔母にもらったんだけどオレンジ色が派手なので、あまり似合わなかったんだ。良かったら、それ香織ちゃんに上げるから着てよ」
麻美が言った。
「くれるってさ。もらちゃいなよ」
「私も、麻美ちゃんの服、着れるんだったら欲しいぐらい」
ルリ子が言って、そのオレンジ色のパンツは香織のものになった。
「二人が着替えに行っている間に、ヨットを海に下ろしてポンツーンに着けておこうか」
隆は言った。
「初めてだし、クレーンのところから乗るよりもポンツーンのほうが、香織ちゃんも乗りやすいだろうしね」
「うん。香織ちゃんって、けっこう運動が得意そうだから、クレーンのところからでも普通に飛び乗れそうだけどね」
洋子は言った。
横浜マリーナのスタッフに頼んで、ヨットを艇庫から出してもらってクレーンで下ろし、ポンツーンに横付けした。
「あら、ヨットがもう下りているわ」
着替え終わって、女子更衣室から出てきた麻美は、ヨットが海上に浮かんでいるのを見て言った。
「早く行かないと、置いていかれちゃう」
麻美と香織は、ポンツーンのほうに走っていった。
ヨットは、ちょうどクレーンで下ろしてもらって、ポンツーンに横付けするところだった。
船首にいた雪が、舫いロープを麻美に投げた。
船尾の佳代は、自分で舫いロープを持ったまま、ポンツーンに飛び移って、ポンツーンのクリートに舫いロープを結んでいた。
舫いロープを受け取った麻美は、片手でロープを持ちながら、もう一方の手でヨットがポンツーンにぶつからないように、ヨットの船体を押さえていた。
香織は、麻美の両手が埋まっていて、大変そうだったのでロープを麻美から受け取って持ってあげた。
船尾の舫いロープを取り扱っていた佳代が、後ろのポンツーンのクリートに結んでいるのを見た。
洋子は船首の側のポンツーンにも、佳代が結んでいるクリートと同じものが付いているのを見つけた。
「ここに結んでいいのかしら?」
香織は、麻美に聞いた。
「うん。そこに舫い結びって結び方で結ぶんだけど…」
今日初めてヨットに乗る香織ちゃんでは、きっとロープも結べないだろうと思った麻美だったが、香織は自分でロープを持ったまま、クリートのところに飛んで行った。
「舫い結びで結んでいいんだ」
香織は、麻美から聞くと、クリートにロープを巻いて、舫い結びで結んだ。
「おお!もう舫いを一人で結べるんだ!」
ポンツーンに停め終わって、コクピットから下りてきた隆は、普通に舫いを結んでいる香織をみて驚いた。
「え、この結び方は、先週に麻美さんに教えてもらったから」
香織は隆に答えた。
「先週、教えてもらっただけで、しっかり結べるようになったのか!?」
隆は、香織の優秀さに驚きながら、ほめていた。
ほかの皆も、先週一回教えただけで結べるようになってしまった香織を、驚きの目で見ていた。
「雪なんて、ヨットに乗り始めて半年も経っているのに、舫いがぜんぜん結べなくて、望月さんに怒られていたものな」
隆は、雪に言った。
「うん。私、半年経っても結べなかったのに、一週間で結べるようになってしまうって早すぎじゃない」
雪も驚いていた。
「本当ね。すごいわ、私なんて、今でもたまに結び方がわからなくなること、よくあるもの」
麻美が言った。
「え、麻美。それは、ちょっと・・」
雪が、麻美の言葉にツッコんでいた。
去年までは、麻美さんとか隆さんと呼び合っていることが多かったが、最近では、ラッコのメンバー同士では、麻美とか隆と呼び合うこともすっかり多くなってきていた。
「なんか難しい結び方だったから、家に帰ってからも、ほんの少しだけだけど、麻美さんに教えてもらったのを思い出しながら結んでみたの」
香織は、皆に褒められてちょっと照れながら言った。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。