この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第194回
斎藤智
朝おきると、2隻は、けっこう早くに保田の港を出航していた。
早めに、横浜マリーナに戻って、結婚式に参加しようというのだ。
「結婚式…」
「隆さんと麻美ちゃんの?」
隆が、今日の午後は横浜マリーナのクラブハウスで結婚式があるから、早めに帰ろうと言ったときに、洋子とルリ子、香織の三人が同時に聞き返したのだった。
「なによ、それ」
麻美は、思わず三人の言葉に吹き出してしまっていた。
「麻美なんかと結婚しないよ。結婚するなら、もっと女らしくてきれいな子と結婚するよ」
隆は、照れながら小声で答えていた。
「別の子と結婚しちゃうんだ」
雪が、隆に突っ込んできたので、隆は困った顔をしていた。
横浜マリーナで、結婚式が始まるのは夕方からだった。
ドラゴンフライという横浜マリーナに停泊しているヨットのオーナーの結婚式だった。
ドラゴンフライというのは、1隻なのに1隻で船体が3つもあるトリマランというヨットだ。

横浜マリーナのクラブハウス内で結婚式は、開催される。
結婚式のはじめは、クラブハウスの奥の場所で親族だけで軽く式をあげる。
その後、大広間のほうに出てきて、横浜マリーナの会員ならば、だれでも自由に参加できるオープンスタイルの形式で結婚式が開催されるのだ。
親族だけの結婚式をまず最初にやってから、会員たち皆に開催するので、会員たちが参加できるほうの式は、夕方から始まるのだった。
その結婚式に、隆たちも参加しようというのだ。
そのために、わざわざ早起きをして、千葉の港を早くに出航したのだった。
「結婚式に参加しておけば、洋子たちも将来、だれかと結婚式するときの参考になるだろう」
隆が言った。
「ふーん」
洋子が、隆の言葉になんとなく納得しない様子だった。
「もちろん、俺も将来、だれかと結婚する時には、小さいころからお世話になってきている横浜マリーナで結婚式はあげたいと思っているから、その参考にしたいし…」
「だれかと…」
洋子がまだ納得しない様子で返事した。
「きれいな美人な女性と結婚したいけど、俺なんかのところに、そんなきれいな女性は来てくれないだろうから、麻美で我慢するしかないかもしれないけど…」
隆は言った。
その言葉を話すときの隆の言葉は、だんだんと声が小さく口ごもって、最後の方はむにゃむにゃと一番近くにいた洋子にも聞こえないぐらいの声になっていた。
「今、なんて言ったの?声が小さくてよく聞こえなかったんだけど…」
コクピットの隆から少し離れたところにいた雪が、大きな声で聞き返した。
「さあ、セイルを上げようか!」
隆は、マストに行って、セイルを上げ始めた。
「なんか隆さん、ごまかした」
洋子が、そんな隆をみて言った。
「ね」
よく聞こえなかった麻美も苦笑していた。
船上結婚式
保田からの帰りは、特に何のトラブルもなく、真夏の穏やかな海上をのんびりと帰ってきた。
いつもトラブルメーカーのマリオネットも、さすがに夏の穏やかな海面では何も問題を起こさなかったようだ。
麻美は、横浜マリーナの女子更衣室の中で着替えていた。
「麻美はどこに行ったの?」
隆は、皆に聞いた。
「わからない」
「さっきまで、私と一緒にお昼に食べたお皿とか洗っていたんだけど…」
「急に、気付いたらどこかにいなくなっていたよね」
誰も麻美のいる場所を知らなかった。
「もう始まっているし、先に行ってようか」
皆は、横浜マリーナのクラブハウスの中に入った。
そこでは、ドラゴンフライのオーナーの結婚式、お披露目が行われていた。
ドラゴンフライのオーナーの水島さんと花嫁さんは、正装していた。
水島さんは、黒のタキシード姿だ。
「あけみちゃんもきれい!」
ルリ子が思わず叫んでいた。
花嫁のあけみは、真っ白のウェディングドレスを着ていた。
司会のスタッフの案内で、会場にいる人々は、ときどき大きな拍手をしていた。
会場の前方のほうにいる親族たちは、それぞれに正装しているが、あとの人たちは皆、普段着のヨットのときの服装のままだった。
会が夕方からということで、参加者の多くは、昼間には自分たちのヨットを出航してセイリングを楽しんで戻って来たばかりなのだ。
それで、いつもヨットに乗っているときの普段着姿なのだった。
立食式の会で、会場の真ん中にあるいくつかのテーブルには、参加者用のご馳走がのっていた。
「俺たちもご馳走になろう」
隆が言って、ラッコの皆も空いているテーブルに行き、食事していた。
「あけみちゃん、幸せそうだね」
壇上のあけみは、皆に結婚おめでとうと言われて、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「香織は、いつ結婚式するんだい?」
香織が、中野さんに聞かれた。
「いつでしょう?その前に相手を見つけないと」
「結婚するときは、ここでやるんだろう」
「やりたいですね」
香織は笑顔で答えた。
「あけみさんも、横浜マリーナのヨット教室の生徒さんだったんだよ」
中野さんは言った。
「ちょうど香織君たちがヨット教室で来る一年か二年ぐらい前のヨット教室の生徒だったんじゃないかな」
「そうなんですか」
「水島君のヨットに三人の生徒が配属になって、でもそのうち二人は、半年ぐらいでヨットには乗りに来なくなってしまったんだよ。それでも、あけみさんだけは、水島君のヨットにずっと通っていたんだ」
「それで、オーナーに見染められて結婚…いいな」
「ラッコのオーナーもまだ独身だから、誰か見染められるかもしれないよ」
中野さんが笑いながら言った。
「だってよ。洋子ちゃん」
ルリ子たちは、隆のすぐ隣で、隆とおしゃべりしていた洋子に言った。
「洋子ちゃん、ラッコのオーナーに見染められて結婚しちゃえば。式のときは、私にブーケを投げてね」
美幸が言った。
「そんな。ラッコのオーナーは、私なんか見染めてくれないよ。ほら、奥手だし、もういるじゃない」
洋子が、皆に言われて照れていた。
「ラッコのオーナーはどう思いますか?」
「洋子だったら、見染めちゃうかもな」
洋子の隣にいた隆が笑顔で答えた。
「また。それ、麻美ちゃんがここにいないから言っているだけでしょ」
洋子は、隣の隆の肩をポンと叩きながら言った。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。