この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第130回
斎藤智
夜遅くなってきて皆、サロンでうつらうつらしているときだった。
パイロットハウスでお酒を飲んでいた人たちが、バタバタとデッキに出始めた。
下のサロンにいた麻美たちも、その音で目が覚めて、あわてて表に出た。
普段だと、麻美や佳代たちが、うつらうつらしていても、雪とかが起こしてくれるのだが、その晩は、雪が上のサロンで飲んでいたグループと一緒に飲んでいたので、起こしてもらえなかったのだ。
「ほら、12時だよ」
まだ、眠たそうな佳代の体を揺らして、麻美が起こした。
「花火だよ!」
麻美たちが、ヨットの外に出ると、ちょうど大きな花火が八景島の上空に打ちあがった。
花火が打ちあがると、八景島マリーナの対岸で花火を眺めている観衆から大きな歓声が上がっていた。
その歓声に負けないぐらい大きな声で、中野さんたちもデッキの上から花火に向かって歓声を上げていた。
麻美たちは、中野さんたちの歓声を聞いて、思わず笑ってしまっていた。
対岸の観衆から上がっている歓声は、女性の黄色い声が多いので、中野さんたち、おじさんたちの歓声は、太く低く対照的だった。
「あけましておめでとうございます!」
「本年も宜しくお願いします」
花火の打ち上げが終わると、八景島マリーナのポンツーン上で、皆はお互いに新年の挨拶をしていた。
麻美にとっては、今までで一番早い新年の挨拶だった。
「それじゃ、船に戻って寝ようか」
頑張って、夜の12時まで起きていたので、さすがにもう眠い。
皆は、船の中に戻ると、まだ点きっぱなしのテレビを消して、サロンに散らかった食べ終わったお皿を片付けてから、眠りについた。
「おやすみなさい」
新年おめでとうの挨拶後、おやすみなさいを言ったのも今までで最速の挨拶になった。
フォアキャビンで雪が寝て、メインサロンのテーブルを下げて作ったベッドでは、洋子とルリ子が寝た。船尾の部屋では、隆、佳代に麻美が一緒に並んで寝ていた。
もうすっかり、それぞれのメンバーで寝るときの定位置が出来ていた。
次の日、ルリ子は、少し遅めの9時過ぎに目覚めた。
ほかのメンバーも同じぐらいに目が覚めていた。
昨夜は、遅かったので皆、少し朝寝坊だ。
そんな中、麻美だけは8時に起きて、朝ごはんを作っていた。
「え、なに!?すごい朝ごはん!」
ルリ子は、麻美が作ってくれた朝ごはんを見て驚いていた。
「だって、お正月でしょう」
麻美は、ルリ子に答えた。
テーブルの上には、皆の分のお椀が乗っており、お椀の中には、お雑煮が入っていた。テーブルの真ん中には、黒豆やかまぼこなどおせち料理が、タッパーに入っていた。
「え、いつおせち料理作ったの?」
「昨夜は、もしかして寝ていないの?」
「まさか。一昨日、家で作って、タッパーに詰めて持って来たのよ」
麻美が答えた。
「美味しい!」
ヨットの上で食べるおせち料理は最高だった。
あけおめセーリング
隆の愛車、エスティマは、車内が広いのが自慢だった。
普通車だと、ラッコのメンバー全員は乗りきらないが、隆のエスティマならば、全員乗れる。
全員が乗れるサイズの車だから、隆は、エスティマに乗り換えたのだった。
「麻美、お願い」
隆は、横浜マリーナの駐車場で、自分の車の鍵を麻美に手渡した。
大晦日にヨットで八景島に行って、一泊してきてから横浜マリーナに戻ってきたのだった。
そして、これから車で横浜マリーナからそれぞれの自宅に帰るのだった。
「ねえ、いつも隆さんって、自分の車を運転していないんじゃないの?」
ルリ子が隆に聞いた。
ヨットからの帰り道、横浜マリーナから家に帰るときは、いつもルリ子やほかのメンバーは、隆の車で家の前まで送ってもらっている。
その送ってもらうとき、車を運転しているのは、いつも麻美だった。
「そうだね。この車に買い替えてから、俺は二回しか運転したことないよ」
隆が答えた。
「なんかさ、前のセダン車に比べて、車の背が高くて、俺にはこの車運転しにくいんだよ」
隆が言った。
「でも、よく背が高くて広い車のほうが運転しやすいって言わない?」
「うん。こっちのほうがセダンより運転しやすいわよ」
麻美が、運転席に腰かけながら言った。
「俺は運転しにくいよ。なんか高くて足が…」
「隆は、足が短いからね」
麻美は、自分の長い脚でアクセルを軽く踏んでみせながら、隆に笑顔で答えた。
「どうして、それじゃエスティマにしたの?」
洋子が、自分の車を運転しにくいという隆のことを笑いながら聞いた。
「昔のエスティマ、スタイルが丸くてかっこ良いじゃん。それに皆が乗れるだろう」
隆は答えた。
麻美は、メンバー全員を家まで送り届けていたら、お正月に実家に戻るのが遅くなってしまった。
「もう時間遅くなるから、俺の家は戻らなくていいから、このまま麻美の家に直行しよう」
隆が提案した。
「だめよ。今日は、うちに親戚も来るんだよ。そんな恰好じゃみっともないでしょう」
麻美は答えると、隆の家にいったん寄って、隆の服装を、少しこぎれいなものに着替えさせてから、自分の実家に向かった。
家に着くと、麻美は玄関から中に入る前に、もう一度、隆の服装を確認して、襟を直した。
「俺の服装は良いんだけど、麻美はヨット用のジーパンじゃん」
「私も、家に帰ったら着替えるわよ」
麻美の父は、サンフランシスコに支社のある貿易会社の社長さんだ。
お正月は、けっこう華やかでいつも賑やかなのだった。
「お帰りなさい。お正月からまたヨットに行って来たのよ。このお二人さんは…」
麻美の母が、二人をリビングに連れていき、来ていたお客に紹介した。
「麻美ちゃん、ヨットってそんなに楽しいの?」
ヨットに一度も乗ったことのない麻美の幼馴染みの従兄弟が聞いた。
「私、ちょっと着替えてくるね」
麻美が、自分の部屋に着替えに行ってしまったので、代わりに隆がヨットのことを従兄弟に説明していた。
その説明を聞いて、叔父や叔母までも、隆にヨットのことを聞いてきたので、結局、お正月の麻美の自宅でも、ヨットの話題ばかり話していた隆だった。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。