この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第129回
斎藤智
横浜マリーナショッピングスクエアでの買い物を終えて、やっとヨットを出航させた。
「この服、可愛いね」
「やっぱり洋子ちゃんも、赤とかオレンジとか原色系の色似合うわよ」
麻美は、いつも地味な色の服を着ている洋子に言った。
洋子は、麻美に佳代の服を体に当てられて、ちょっと恥ずかしそうだった。
「ルリちゃん、いいわよ!その服」
八景島に向けて、横浜マリーナを出航したラッコのキャビン内は、クルーたちによるミニファッションショー会場になっていた。
「皆、さっき買ってきたばかりの服の試着しているのか?」
「そうみたいよ」
今、コクピットのデッキにいるのは、隆と雪だけだった。
「雪は、ファッションとか興味ないの?」
「私は、あんまり興味ない。もう30代後半だし」
「30代後半でも、麻美なんか中で若いのと一緒になって騒いでるじゃん」
「麻美ちゃんはね。私、若い頃からあんまりファッションとか女の子っぽいこと興味なかったから」
「そうなんだ」
「だって、高校生の頃も、うちの学校って制服無かったから、スカートとか着たこと無いしね。スカート着てたのって、小学生の頃までかな。それも、親に無理やり着させられてただけ…」
「へえ、そうなんだ」
隆はラッコのステアリングを握りながら答えた。
「そういえば、麻美もスカート履いているところ見たことないな」
「そういえば、そうだね」
隆に言われて、雪も麻美がスカート履いている姿を見たことないことに気づいた。
「だんだん、皆の個性みたいのわかってきたね」
隆は言った。
「雪なんて、ヨット教室で乗り始めた頃なんて、船の上で一番静かで、舫い結びも出来なくて、きっとすごいお嬢様育ちなんだろうなって思ってたよ」
「本当に?それで今は?」
「今は、けっこう活発で、男っぽい性格かな」
隆に言われて、雪は苦笑した。
船が横浜マリーナを出航したときから、ほかの皆は、キャビンの中でファッションショーしていて、表に誰も出てこないので、二人は、メインセイルだけ上げると、そのまま機帆走で八景島まで来てしまった。
「今日は、八景島の中に入港しよう」
隆が言った。
いつもは、八景島の中の港に停泊すると、八景島内のマリーナに利用料を取られるので、八景島の脇の海岸、沖合いにアンカーを打って停泊しているのだった。
今夜は、大晦日で特別ということで、ちょっと奮発して、ちゃんと八景島マリーナに停泊だ。
「もう着いたんだ!」
洋子がキャビンから出てきて、着岸する準備を始めた。
「洋子、さすがじゃん!中でファッションショーしていても、船がどこ走っているか理解していて、停泊前には、ちゃんと出てきて着岸の準備するところ」
隆は、洋子に言った。
その後、ほかのキャビンの中にいたクルーたちも出てきて、着岸の準備を始めた。
そして、ラッコは、八景島マリーナのゲスト用ポンツーンに舫いを取り、停泊した。
花火大会
麻美は、ヨットのギャレーで夕食を作っていた。
大晦日の夜、外は、気温が下がって、すごく寒いというのに、ヨットのキャビンの中は、人の熱気、ギャレーのガスの火で、とても暖かった。
「夕食の準備ができたよ」
今夜の夕食は、カレー鍋だった。
付け合わせで、サーモンサラダが付いていた。
「夕食は、少し少なめだけど、夜食に年越しそばが用意してあるからね」
隆が、キャビンのサロンに設置されているテレビのスイッチを点けた。
ラッコのマストの途中には、マストを支えるための支柱が出ている。その支柱には、テレビ用のアンテナが備わっていた。
海水を浴びても、大丈夫なように防水になっているアンテナだ。
このアンテナが付いているおかげで、ラッコのキャビンの中では、ふつうに陸上のテレビと同じように、番組を受信することができた。
テレビでは、ちょうどNHKの7時のニュースをやっていた。
7時のニュースが終わったら、今日は大晦日なので、紅白歌合戦が始まる。
「去年の大晦日は、普通に家のテレビで紅白歌合戦見てたから、ヨットの中で見る紅白歌合戦もいいね」
雪が言った。
「確かに。皆でヨットで過ごす大晦日は、楽しいけど、私、いつも紅白よりダウンタウン見てるんだけど…」
麻美が答えた。
「私も」
洋子やルリ子も、麻美に賛成した。
「いいよ。チャンネル変えても」
隆が言って、テレビは、ダウンタウンの番組に変えられた。
ラッコの皆が、キャビンでダウンタウンの番組を見ていると、表が騒がしくなった。
隆たちが、デッキに出てみると、マリオネットとアリアドネが入港してきていた。
「こんばんは」
二艇も、横浜マリーナから八景島マリーナに、大晦日を過ごすためにやって来たらしい。
二艇が、加わったことで、ラッコのキャビンの中は、さらに賑やかになった。
ラッコのキャビンには、下段のサロンと上側のパイロットハウスのサロンと二つサロンがあった。
上側のサロンには、中野さんたち年輩の人たちが座り、下側のサロンには、若手が座った。
下側だけでなく、上側のサロンにもテレビはあった。
上のテレビでは、紅白歌合戦をやっていて、下のテレビでは、ダウンタウンの番組をやっていた。
「ルリちゃん、ちょっと手伝って」
ルリ子は、麻美に呼ばれて、ギャレーに行った。
ギャレーでは、麻美が皆の分のお蕎麦を茹でていた。
夕食も食べ終わって、これから、夜食の年越しそばが始まるのだ。
「年越しそばを食べ終わったら、あとは寝るだけ?」
「うん」
「除夜の鐘とかは、八景島まで聞こえたりしないよね」
「除夜の鐘は聞こえないけど、12時になったら、八景島で大きな花火が打ちあがるよ」
隆が答えた。
「そうか。それじゃ、12時まで起きていないとダメなんだ」
ダウンタウンのテレビを見ながら、眠そうに目が閉じてきていた佳代が答えた。
「佳代ちゃん、眠かったら寝ていてもいいよ。12時になったら、私が起こしてあげるから」
麻美が言った。
佳代は、横に座っている麻美に言われて、麻美の肩に寄りかかって眠ってしまった。
「佳代ちゃんって、麻美ちゃんの本当の子どもみたい」
洋子が、それを見て微笑んでいた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。