この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第165回
斎藤智
マリオネットの乗員は皆、興奮していた。
なにしろヨットレースに優勝したのだ。
おそらく横浜マリーナの暁なんかだったら、いつも優勝していたり、好成績で上位に食い込んでいたりしているので、それほど興奮などしなかっただろう。
しかし、ヨットレースで優勝、どころか上位にも滅多に入ったことなどないマリオネットの乗員にとっては、珍しいことなのだ。
中でも、一番興奮していたのは、オーナーの中野さんだった。
たまに出場するクラブレースでは、上位を狙いたいとマストを標準よりも高めのトールリグにわざわざして建造したのだ。モーターセーラーにトールリグを付けているので、皆に笑われていた。
皆に笑われても付けたトールリグなのに、今までのヨットレースでは、そのトールリグが活かされて上位に食い込むことも無かったのだ。
それが、今日のレースでは優勝してしまったのだ。
「優勝か。すごいな!よく走ったよな」
中野さんは、ビールを飲みながら豪快に笑っていた。
マリオネットのほかの男性クルーも大喜びだった。その喜んでいる中に隆も加わっていた。さらに、雪までもが豪快にビールを飲みながら喜んでいた。
「レースって面白いね!」
雪は、隆に言った。
「ああ、一位になれれば、そりゃ楽しいさ!」
隆は答えた。
「一位じゃなくても、なんかセイリングで競い合うのって楽しくない?」
「そうね」
「私、レースに乗るの初めてだからかな?なんか、めちゃ楽しいよ」
「雪って、レースに出たこと無かったんだっけ?」
「無いよ。隆って、いつもレースで、どこかのヨットに乗るときって、洋子ちゃんばかり一緒に連れていっているから」
「あは、そうか。だって、舫いも結べないやつ一緒に連れていっても、連れていったヨットに迷惑かけちゃうものな」
隆は、笑顔で答えた。
「いつの話しているのよ。私も、もうさすがに舫い結びぐらいはできるようになっているよ」
「そうだったっけ。それじゃ、次からは、レースのときは雪を連れて、出場艇に乗りに行こうかな」
「うん!そうして」
雪は、すっかりヨットレースにはまってしまったようだった。
「よし、温泉に入りに行こうか」
皆は、ヨットレースで汗まみれになった体を洗い落としに、熱海の温泉に出かけることになった。
「帰りに、どこか食堂に寄って、そこでレースの祝杯をあげよう」
温泉に向かう熱海の道中も、隆や雪、洋子、香織までまだレースの余韻に浸っていた。
「あ、なんかホッとした」
前を歩いている隆やマリオネットの人たちの後ろ姿を見ながら、麻美は横にいるルリ子に言った。
「え」
「だって、レースをしているときって皆、レースに夢中で、あの船を抜けとか、こっちの船を妨害しろとかって、ものすごいんだもの」
「確かに、皆、すごい緊張感だったよね」
「なんか乗っていて、私、皆が恐かったよ」
麻美は答えた。
レースが終わって、いつものだらだらしたクルージングに戻れて、ホッとしているのは麻美だった。
「雪ちゃんまで、レースが気に入ってしまったみたいだよ。今度、横浜マリーナのレースに、うちのヨットでも出場するって隆さんが言ったらどうする?」
ルリ子が麻美に聞いた。
「そしたら、私はクラブハウスで待っているわ。皆がレースに出るのをお見送りして」
麻美が即座に答えた。
「あ、麻美ちゃんがクラブハウスで待っているなら、私も待っている」
ルリ子も答えた。
「私も!」
佳代までルリ子のマネをして答えていた。
「佳代ちゃんは、たぶんダメだと思うよ。スピンのときには、ラッコのフォアデッキ担当でしょう。佳代ちゃんがクラブハウスで待っているといっても、隆がダメって言うよ」
「そうかもね。私が待っていると言ってもレースに役立たないからどうぞって言うだろうけど、佳代ちゃんが待っていると言ったら、隆、困った顔するだろうね」
「ね、私もたぶん残っていてもOKになると思う」
麻美とルリ子は、佳代の頭を撫でながら言った。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。