この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第107回
斎藤智
浦賀にヴェラシスという名のマリーナがある。
三崎、東京湾の入り口から東京湾内に入湾すると、やがて大きな真っ白な煙突が見えてくる。
横須賀にある火力発電所の煙突だ。
大島や外洋から東京湾に戻って来たとき、この横須賀の火力発電所の煙突が見えてくると、いつも隆は、「ああ、戻って来たな」って思っていた。
朝、三崎港を出航したラッコは、その煙突の横に差し掛かっていた。
「お腹、空いてきたな」
隆は、煙突の上から出ている煙を見てつぶやいた。
「どうして、煙突の煙で、食欲がわくの?」
「なんだかマシュマロに見えてこないか」
隆と洋子は、船尾のデッキ上で話していた。
「あそこって、ヴェラシスだよね」
そんな二人に、麻美が話しかけた。
「そう。大きなマリーナだよ」
「横浜マリーナよりも大きなマリーナ?」
「ぜんぜん大きいよ。たぶん、横浜マリーナよりも、置いてある船の数も倍近くあるんじゃないかな」
横浜マリーナに置いてあるヨット、ボートは、最大でも50フィートぐらいの船しかないが、ヴェラシスには、それよりも遥かに大きな船も、かなりの数が置いてあった。
「前に、カレーを食べたところだよね」
ルリ子が、このマリーナに来て、お昼にカレーを食べたことを思い出して言った。
「お!さすが、食いしん坊。食べ物でおぼえているんだ」
隆が笑った。
「まあね、一度、食べた料理は、二度と忘れない」
ルリ子が、少し膨らんだ自分のお腹を揺らしてみせながら、おどけてみせた。
「ヴェラシスも、けっこう立派なマリーナだけど、私は、横浜マリーナのほうが雰囲気が好きだな」
洋子が言った。
「たしかに、横浜マリーナのほうが、脇にショッピングスクエアも付いているし、便利だよな」
「まあ、そういうのもあるかもしれないけど…。マリーナのスタッフが皆、親切で優しいし、なんとなく家族っぽいっていうか、アットホームだよ」
洋子が、横浜マリーナの感想を述べた。
「確かに、うちのマリーナはアットホームかもしれないけど、俺たちは普段ヴェラシスを利用していないから知らないだけで、もしかしたら、ヴェラシスだってアットホームなマリーナなのかもしれないよ」
「たしかに」
「そうかもしれないよね」
洋子は、隆に言われて納得した。
「そんなわけで、お昼はヴェラシスの前にある別のマリーナに入港してみようか」
隆が提案した。
「ヴェラシスじゃないんだ」
ヴェラシスの話を今、話していたというのに、ヴェラシスではなく別のマリーナに行ってみようという隆に、皆は思わず笑ってしまっていた。
浦賀のコーチヤ
その別のマリーナは、ヴェラシスのすぐ目の前にあった。
浦賀の入り口のところ、左側にヴェラシスは、あった。
そのヴェラシスの対岸、右側に、そのマリーナはあった。
コーチヤという名前のそのマリーナは、ヴェラシスほどには、大きくないが、立派な大型クレーンが完備されていた。
「クレーンの脇のポンツーンに左舷付けで停泊する」
隆は、洋子たちクルーにそう伝えて、ラッコのステアリングを回して、コーチヤのポンツーンに近づいた。
洋子たちクルーは、フェンダーともやいロープを用意して、着岸に備えていた。
コーチヤの海面には、その小さな短いポンツーンが、たった一個あるだけだった。
そのほかには、大型クレーンが一台あるだけだった。
「いらしゃいませ!」
コーチヤの職員が、ポンツーンに降りてきて、ラッコのことを出迎えてくれた。
「お昼を食べたいのですが…」
「お食事ですね。レストランは、クラブハウスの2階になります」
隆たちは、船を停め終わると、レストランまで職員に案内してもらった。
「けっこう広いマリーナなのね」
麻美は、ポンツーンを登って、陸に上陸すると、周りを見渡して言った。
横浜マリーナも、対岸のヴェラシスも、自分たちのマリーナ前面の海上と敷地内の陸上の両方に、ヨット、ボートを保管しているが、コーチヤの場合は、保管しているすべてのヨット、ボートは陸上の敷地内に保管してるようだった。
海に係留していないので、船を出航するときは、常に大型クレーンで上げ下ろししてもらうのだった。
陸上に保管されているヨットのマストが、海上からだと手前のほうの分しか見えていなかったため、麻美は、コーチヤは小さなマリーナだと思っていたのだ。
それが陸上に上がってみると、コーチヤの敷地は、かなり奥まで広がっていたのだった。
「フランス料理?」
レストランの店内に入ると、ルリ子は言った。
コーチヤのレストランは、クラブハウスの2階に1店舗のみがあるだけだったが、横浜マリーナや横浜ベイサイドマリーナのショッピングスクエアにあるレストランよりも、そのレストランのほうがよほど雰囲気があって高級そうだった。
「本当ね、フランス料理でも食べれるのかしら」
「なんだか高そう」
「こんな高級なお店、お金大丈夫・・」
麻美が少し不安そうに、隆の顔を覗きこんでいた。
レストランの店内に入ったルリ子が、店内のインテリアを見て、思わずフランス料理と思ってしまったのも、頷ける雰囲気だった。
どの家具の調度品も豪華で高級なものばかりなのだ。
「うちは、イタリアン料理なんですよ」
レストラン店内にいたオーナーシェフが、ルリ子に言った。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。